Boro - 襤褸(ぼろ) - DMデザインjp
ほぼ日本独自の文化(※)である「襤褸(ぼろ)」
かつて、日本では「綿」「綿布」は非常に高価であり、農村中心の時代、柔らかい布でできた服や綿(わた)入りの布団、防寒着などの布製品は貴重でした。
そこで、布の端切れをコツコツ集め着古した服の破れや擦り切れに、集めた端切れを当て修繕し使い続けました。
そうして補修し続けた服や布製品は個性的な装飾のように縫い重ねられ、補修する個人の創意工夫によって、それだけでアート作品として注目されるようになりました。
ただ汚いだけの「ボロボロ」ではなく、「襤褸」をアートとして取り込み、ファッションとしての「Boro」を「手染め」や「布の特性」を生かし、経年劣化を表現する「ウェザリング」表現の一部として、現代的な「襤褸」を目指しているのが「きき屋」の手染め作品です。
きき屋の染め作品は手染めによる「汚し(ウェザリング)」とこの「襤褸」表現が二つの軸となっています。
その中でもこれらパッチワークマントは物質的に豊かになった現代では失われてしまった襤褸文化を取り込み「長期間放浪する冒険者」の雰囲気を表現するマントとして創作したものです。
※ほぼ日本独自の文化=衣服のパッチワークは世界中にありますが、そのほぼ全ては空いた穴を隠すためにより綺麗な布や専用に作ったパッチを当てるものです。
日本の襤褸は、自国植民地の安い綿花や絹が使えた欧米とは精神性やあり方自体が根本的に違っています。
長年縫い重ねた様々な色柄の布であるにもかかわらず、創意工夫によって一つのアート作品として見られるほど一貫性と芸術性を持っています
もちろん、無数にあった衣服の中でも当時から芸術性の高いものが運良く現在に残り評価されていると考えられます。